今年2023年は、昭和から平成にかけて活躍した洋画家、大沢昌助の生誕120年の節目の年。
それを記念して、多くの大沢昌助作品を所蔵する、
練馬区立美術館にて、“生誕120年 大沢昌助”展が開催されています。
(注:展示室内の写真撮影は、特別に許可を得ております。)
ちなみに。
練馬区立美術館で大沢昌助の展覧会が開催されるのは、
1991年の回顧展、1997年の追悼展、2010年の父で建築家の大沢三之助との親子展以来。
実に、13年ぶり4度目の開催となります。
もし、大沢昌助の名を知らずとも、
彼が描いた旧国立競技場の壁画を目にしたことがあるのではないでしょうか。
(注:現在は、新国立競技場に移設)
あるいは、世田谷区役所の壁画、
新都庁の壁画を目にしたことがあるのではないでしょうか。
いや、自分で言っておきながらなんですが、
おそらく目にしたことがないという人が大半ですよね。。。
大沢昌助は一体どのような画家だったのか。
展覧会の公式HPには、「戦後の社会背景を見据えつつ、
ブレることのない独自のスタイルを貫いた昭和を象徴する美術家」とあります。
確かに、93歳でこの世を去るまで、独自のスタイルを貫いた人物だったようですが。
画風そのものは、初期から晩年まで大きく変化、
それも、ジェットコースターばりに起伏にとんだ変化をし続けます。
初期こそは、王道の洋画を描いていましたが、
徐々にピカソを彷彿とさせる画風へとシフト、
さらに、抽象画のようなスタイルへとシフトします。
さらにさらに、その後、
抽象画のようなスタイルから、完全なる抽象画へ。
そして、歳を重ねるごとに、抽象ぶりは加速していきます。
大沢昌助本人は、
「若い人の絵みたいだとよく言われるんですけどね、
これはあまりうれしくないんだ。若い頃、僕は、こうは描けなかった。」
との言葉を残しているようですが。
いやいや、歳を重ねるごとに、若返っている印象を受けました。
まるで、『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』を地で行くような画家人生です。
ちなみに。
最晩年の作品のスタイルは、こんな感じに↓
改めて、初期の作品と見比べてみると、別人にもほどがあります。
人はいつだって変われる。
そんなことも実感できる展覧会でした。
なお、大沢昌助自身は、どんな人間だったのか。
『一目でわかる大沢昌助』なるパネルが、展覧会の冒頭にありました。
それによると、田園調布にアトリエがあり、
趣味は音楽鑑賞や映画鑑賞、トランプだったようです。
そんな数々のプロフィールの中で個人的に気になったのが、特技の欄。
特技はギターとキャベツ千切り、とのこと。
特技の欄に書くほどとは、よほどの千切りの腕前だったのでしょう。