日本郵便株式会社と東京大学総合研究博物館の産学協働によるミュージアム。
それが、インターメディアテク(略してIMT)。
東京大学が所蔵する動物の骨格や剥製、
産業プロダクトといった博物標本が常設展示されています。
それも、あえてごちゃごちゃしたスタイルで。
これまで館内は一部を除き撮影不可でしたが、
嬉しいことに、今年2月より撮影可能エリアが拡大されました!
クジラの骨格標本ごしの東京駅。
撮り鉄の人でも撮ったことがないであろう、
そんなシュールな光景も撮り放題となっています。
さてさて、そんなインターメディアテクで現在、
開催されているのが、“東京エフェメラ”という展覧会です。
東京エフェメラ。
字面だけ見ると、なんだか月9のドラマのタイトルのようです。
この聞き慣れない「エフェメラ」とは、もともとはカゲロウを意味する言葉だったそう。
その儚さから転じて、今では一時的な印刷物を指す言葉として使われています。
一時的な印刷物と言われても、ピンと来ないかもしれませんが、
具体的に言えば、ポスターやチラシ、パンフレットなどがそれに当たります。
意識していなかっただけで、実は世の中はエフェメラに溢れているのですね。
今回の展覧会でフィーチャーされているのは、戦後の東京に関するエフェメラ。
東京のイメージはどうやって形成されたのか、
そして、そのイメージがどのように広められていったのか。
ポスターやチラシ、パンフレットだけでなく、
各種地図や都市計画書、行政報告書、ガイドなど、
ミュージアムや図書館には残っていないエフェメラの数々を通じて紹介するものです。
正直に告白しますと、“東京エフェメラ”という、
小難しいタイトルを聞いた瞬間から、不安はありましたが、
予想通りというかなんというか、小難しい展覧会でした。
キャプションの文章が頭良すぎて、半分くらい入ってこなかったです(笑)
とはいえ、そうした説明文はさておいても、
単純に昔のエフェメラは、眺めるだけで面白かったです。
ソノシートをギリ知ってる世代なので、
無性に懐かしい気持ちになったりしましたし。
また、丹下健三による『東京計画1960』(※)や、
(※晴海と木更津を道路で結び、東京湾に海上都市をつくる計画)
赤瀬川原平やハイレッド・センター関連の資料など、
建築好き、戦後美術好きなら観ておきたいエフェメラも多々ありました。
何より、常設展示と併せて、こちらの展覧会も無料で観られるのは嬉しい限り。
会期も9月3日までと長めなので、何度か通って内容をしっかり理解しようと思います。
ちなみに。
出展されていた膨大なエフェメラの中で、
特に印象に残っているのが、こちらの『東京画報』なるもの。
和光大学芸術学科の学生たちによって、
1970年代前半に自費出版された写真集だそうで。
東京の写真が実験的にコラージュされています。
このポップな編集センスは、現代のTikTokにも通ずるような。
時代は変わっても、根っこの部分は意外と変わらないのかもしれませんね。
それからもう一つ印象に残っているのが、
昭和22年に発行されたという『東京娯楽案内』。
上野に関しては、現在とそんなに違いはありませんでしたが。
銀座にいたっては、ほぼ様変わりしていました。
今も残っているのは、銀座三越や松屋くらいなものでしょうか。
なお、そんな銀座にはかつて、こんなダンスホールがあったようです。
「絹で飾った最も家庭的ナダンスホール」って何?!
絹は家庭的なのか?
そもそも、ダンスホールに家庭的なものが求められているのか?
気になることが山積みです。