もし、芸術家たちが漫才をしたら・・・。
彼らのことが、なんとな~くわかるネタを披露して頂きます。
それでは、皆様、どうぞ芸術漫才をお楽しみください
マネモネ (左・モネ 右・マネ)
マネ「マネ [1] です」
モネ「モネ [2] です」
2人「二人合わせて、モネマネです。よろしくお願いします」
マネ「いきなりですけどね。僕ら、よく間違えられるんですよ」
モネ「名前が似ているからね」
マネ「ひどい時には、双子に間違えられますからね」
モネ「そうそう」
マネ「ただ、ハッキリ言っておきますけど、僕らは・・・」
2人「全然、双子じゃないですからね」
マネ「ハモってくるなよ!ハモるから、マナカナみたく思われるんだろ」
モネ「まぁまぁまぁ。大体、歳が違いますからね」
マネ「僕のが8コ上なんですよ」
モネ「てことは、僕が小6の時に・・・・・・中8?」
マネ「何年、ダブってんだよ!」
モネ「歳も違いますけど、フルネームも全然違いますしね。
僕がクロード・モネ。で、 (隣を指さし) こちらが西沢マネさん」
マネ「誰なんだよ!西沢って!てか、マネは苗字だからね」
モネ「あ、マネ竜太さんでしたっけ?」
マネ「峰竜太みたいに言うなよ!エドゥアール・マネだよ」
モネ「そうでしたそうでした」
マネ「マネとモネって一文字違いなんで、日本人のお客さんに、よく間違えられますけど。
自分らの国フランスでも、よく間違えられるんですよ」
モネ「そうそう。僕のスペルが、 『Monet』 で、マネさんのスペルは、 『Manet』 。
やっぱり一文字違いなんですよね」
マネ「それが原因で、大変なことがあったよね」
モネ「あ~、ありましたね。あれは大変でしたね。
ところで、大変と言えば、うちのトイレがつまりまして・・・」
マネ「お前ん家のトイレの話はいいよ!大変だったエピソード、しゃべらせろよ!」
モネ「気を使って言えなかったんですけど、そのエピソード、前に聞いたことあるんで・・・」
マネ「知ってるよ!お前が、このエピソードを聞いたことがあることは知ってるよ!
今は、お客さんに聞いてもらおうと思ってるの」
モネ「あぁ、そういうことですか」
マネ「(お客さんに向かって)1866年のサロン [3] に作品を出展した時の話なんですけど」
モネ「はいはい」
マネ「自分の絵の評価が気になって、ドキドキしながら会場に向かうと、
先に絵を観ていた友人たちに、「お前の絵良かったよ!」 なんて絶賛されまして」
モネ「へ~、それは良かったですね」
マネ「めちゃめちゃテンション上がって、自分の絵のところに行ったら、
何とそこに、こいつの絵が飾られてたんですよ」
モネ「主催の人が名前を間違えちゃったんですよね」
マネ「しかも、俺の名前で飾られてるモネの絵 [4] が入選してましたからね」
モネ「あれは、自信作でしたから。ちなみに、その時、マネさんの絵 [5] は?」
マネ「・・・・・落選してたよ」
モネ「ん?らくせ・・・何ですって?」
マネ「そこまで聞こえてたら、わかんだろ!落選だよ、落選!」
モネ「まぁ、マネさんは落選することが多かったですからね。
なんたって代表作の 《草上の昼食》 も不道徳って理由 [6] で落選でしたし」
マネ「嬉しそうに言うなよ!お前だって、何度も落選してんじゃん」
モネ「そうなんですけど、落選しても何度もサロンに挑戦し続けたマネさんと違いますからね」
マネ「ん?」
モネ「僕の場合、ルノワールとか落選仲間誘って、自分たちだけで展覧会 [7] を開きましたから。
落選は落選でも、向上心のある落選なんですよ。
生き様まで落選しているマネさんとは違うんですよ」
マネ「そこまで言うことないだろ!」
モネ「いや、ついでに言わせてもらいますけどね。
僕、一つだけマネさんに対して許せないことがあるんですよね」
マネ「何だよ?」
モネ「僕の 《印象・日の出》 って絵がきっかけで、 “印象派”[8] って言葉が生まれたわけじゃないですか」
マネ「うんうん」
モネ「それなのに、美術の本を見ると、マネさんが 『印象派の父』 って紹介されているんですよ!」
マネ「まぁ、そうだね」
モネ「『印象派の父』 は、確実に僕でしょ。
てか、マネさん、一回も印象派展に作品を出展してないじゃないですか!」
マネ「しょうがないだろ。
俺が自分で 『印象派の父』 って言ったわけじゃなくて、周りが勝手に言ってるんだから」
モネ「僕から言わせてもらえば、 『印象派の父』っていうか、
マネさんは、 『印象派の義父』 ですよ」
マネ「血が繋がってないのかよ!」
モネ「もしくは、 『印象派の・・・母には、「あんたのお父さんは、あんたが物心つく前に病気で死んじゃったんだよ」って言われてたのに、実は愛人を作って家出していただけの父』 ですよ」
マネ「長ぇよ!しかも、最悪な父じゃねーかよ!」
モネ「それか、 『印象の薄い父』 ですよ」
マネ「最後、印象派関係ねぇじゃん!
大体、俺が 『印象派の父』 って呼ばれるのは、
君たち印象派のメンバーが、俺の作品を真似してたからなわけでしょ?」
モネ「・・・・・・・マネだけに?」
マネ「ダジャレじゃねーよ!」
モネ「そんなこと言ったら、マネさんだって、僕の光の表現をモネしてたわけじゃないですか?」
マネ「モネしてた、って何だよ!」
モネ「まぁまぁまぁ、お互い影響し合ってたってことで、仲良くしましょうよ」
マネ「それもそうだな」
モネ「じゃあ、仲直りしたってことで、先日トイレがつまった話をしてもいいですか?」
マネ「だから、お前ん家のトイレの話はいいって!!」
2人「どうもありがとうございました」
[1] エドゥアール・マネ (1832~1883) 19世紀のフランスの画家。西洋近代絵画史の冒頭を飾る画家の一人。
“マネと言えば、黒” というくらいに、黒の使い方に定評がある。
[2] クロード・モネ (1840~1926) 「光の画家」 との異名を持つ印象派を代表する画家。
有名な 《睡蓮》 の絵は、生涯で200点以上描いている。
[3] サロン。正しくは、サロン・ド・パリ。1725年に開始されたパリの芸術アカデミーの公式展覧会の総称。
年1回 (のちに奇数年は年2回に) 開催される世界的な芸術イベント。
日本お笑い界で言うところの上方お笑い大賞のようなものである。たぶん。
[4] この時、マネの絵として飾られていたモネの絵は、 《緑衣の女》
[5] この時、モネの絵として飾られていたマネの絵が、 《笛を吹く少年》
[6] 「おいおい、現実の女性の裸描いちゃってるYO!」 と、批判が殺到。当時、一大スキャンダルとなる。
“女性の裸を描きいなら、神話画や歴史画。” というお約束を破ってしまった一枚。
[7] サロンで落選常連組だったモネやルノワール、ドガたちが、1874年4月に、自分たちだけでグループ展を開催。
その際のタイトルは、「画家、彫刻家、版画家による共同出資会社 『第一回展』」 で、まだ “印象派展” という言葉は使われていない。
モネは、そこに、 《印象・日の出》 を出展。
[8] 1860年代半ばにフランスで起きた芸術運動。超ざっくり言うと、光や空気の変化を表現しようとした芸術運動。
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エントリーNo.0002 マネモネ(マネ モネ)
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